
花時計

一番美しいまま、咲き続けている
花が嫌いだ。
彼女と訪れたディナーの食後のサービスで、花びらが入った紅茶が出てきて、吐き気がした。
あれから、花の匂いも味も、見ることさえ苦手になった。
———
数年前、大学に通うために上京してきた俺は、新居へ引っ越した。
この街に来たのは初めてだった。
地図アプリで周囲を探索していると、住宅街の中に、やけに整った円形の青い花畑みたいなものが見えた。
拡大すると、どうやら誰かの庭らしい。
気になって、その場所まで行ってみることにした。
そこは、住宅街にある家にしては不自然なくらい高い塀に囲われていた。洋館みたいな外観で、周囲から切り離された別空間みたいだった。
正面の門は閉まっていた。
家の外周を回ると、裏手に小さな門があり、その先に草花で覆われたアーチ状の通路が伸びていた。
門は少しだけ開いていた。
迷ったのは一瞬だった。
吸い込まれるように、俺は中へ入った。
庭は広く、花壇がいくつも並び、どれも手入れが行き届いていた。
レンガの通路を進むと、地図で見た円形の青い花壇があった。
中心には小さな碑が立っていて、そこに「ミユ」と刻まれている。
花壇は六分割されていて、真ん中には大きな秒針みたいなものがある。
花時計、なのかもしれない。
分割されたそれぞれの場所に、小さな真鍮のプレートが埋め込まれていた。
2時:見つめ合った
4時:声に魅了された
6時:呼吸をそばで感じた
8時:唇を奪われた
10時:添い遂げると誓った
12時:君が泣きながら別れを告げた
なにかの詩か?
花は黒く沈んだ藍色で、綺麗なのに、なぜか不気味に感じる。
茎は太く、妙に丈夫そうだ。
湿った土が生々しい。
見つめているうちに、土の中に異物が見えた。
——指?
目を凝らした瞬間、背後から声がした。
「綺麗でしょ」
心臓が跳ねて、息が詰まった。
振り向くと、小綺麗な男が立っていた。姿勢が良く、穏やかな表情をしている。
「一番美しいまま咲いているんだよ」
男はそう言って、俺の隣に立ち、花壇を眺めた。
喉が固まって、何も言えない。動悸がうるさい。
「君、花は好き?」
唐突な質問に、言葉が出なかった。
男は微笑んだまま、俺の反応を待たずに続ける。
「口を開けて」
「……え?」
「確かめてみて」
笑顔のまま、当然の手つきで、男は花弁を一枚ちぎった。
俺が何かを言おうとしている間に、男の手が俺の顎を軽く押さえた。
それを、ためらいなく俺の口に押し込んだ。
甘い。
次にしょっぱい。
その後に鉄のような味。
舌の上に、ねっとりしたものが張りついて離れない。反射で吐きそうになって、唾液が一気に出た。
男は満足そうに頷く。
「うん。今日も、綺麗だね」
俺は咳き込みながら口元を押さえた。
吐き気で目の前が白くなる。
「ダメだよ。勝手に人の庭に入ってきたら」
叱るみたいな口調なのに、怒っている感じはなかった。
男は俺の腕を取り、さっき入ってきた裏門まで淡々と連れていく。
門の外へ押し出され、背中を軽く押されて、俺は道路に転がるように出た。
門は静かに閉まった。
しばらく立てなかった。
口の中に残った花の味が、何をしても消えない。唾を飲み込んでも、息を吐いても、また戻ってくる。
———
花が嫌いだ。
あの甘塩っぱい鉄の味が、舌の奥に残っている。
制作裏話
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